大阪高等裁判所 昭和28年(う)934号 判決
たことは原判決が外形的事実に関する証拠として挙示する各証拠に徴しこれを認めることができる。ところで検察官においては被告人両名共右第一の事実については背任罪第二の事実については業務上横領罪(予備的訴因として背任罪)の主観的要件をも完備するものとして各該当犯罪を構成するとなすに対し原判決は被告人藤本秀二については背任、横領の犯意なしとの理由により又被告人山内茂については本件支出の不当なことを承知していたと認むべきであるがその所為は期待可能性を欠き責任を阻却されるものとしていずれも無罪を言渡したことが記録上明かである。
よつて先ず被告人藤本秀二に関し前示第一、第二事実についての背任或は業務上横領の犯意の有無如何を審究するに右第一、第二事実における信託金の操作又は現金交付(以下本件支出という)により同和火災海上保険株式会社(以下単に会社と略称する)所有の資産が支出せられるに至つた所以は昭和二十五年一月十二日兵庫県において施行された参議院議員補欠選挙に際し立候補して当選した会社の社長岡崎真一の選挙運動資金として借入れ使用せられた借財の返済としてなされたものであることが記録中の諸資料を通じ動かし難いところである。さすれば右岡崎真一の立候補の経緯、運動資金調達の状況等を究めることは被告人藤本秀二の本件支出に関する意思が奈辺にあつたかを見るに重要な事柄といわなければならない。この点につき原審並びに当審証人岡崎真一、同じく証人水野有喜、原審証人泰野平七、尾谷真治郎、大川正元、福井久吉、若尾周、安原明治、岡田辰雄の各証言及び被告人両名の原審並びに当審公廷における各供述を綜合すれば岡崎真一が立候補するに至つた動機は日本損害保険協会理事会からも損害保険業界の職能代表者として出馬するよう慫慂せられ更に会社重役に諮つたところ大いに賛同を受けその当選のため会社が一丸となつて応援することとなつた結果立候補の決意を固めたのであり、岡崎真一は同人個人の発意よりはむしろ会社が全力を挙げて社長岡崎を当選せしめようとする意図に副い立候補するに至つたものというべく岡崎社長並びに会社重役幹部等としては会社が年間二千万円前後の多額な宣伝費を支出しておるが、社長が当選することによつてはそれだけで会社宣伝の効果が大いに加わり、その他会社事業運営の諸分野において中央の情報収集についての便宜並びに会社の繁栄をもたらすことが必定であるとなし、この選挙こそは会社のためにする選挙であるとの信念の下に会社重役及び職員が選挙運動に奔走したのである。そしてその運動に当つては重役はそれぞれ分担を定め被告人藤本秀二は神戸支店に在勤した関係上渉外部長としての役を持ち運動資金調達の衝に当ることになつた。ところが岡崎が立候補するにつき叙上のような経緯がありなかんずく会社のための選挙であるとの信念の下に会社全体が応援し運動するのであるからその運動資金の如きは選挙終了後或程度岡崎個人其の他で負担するようになるにしてもさしあたりその調達方法を会社重役幹部に一任した形となつてしまい立候補の当初に際し関係者の間においては選挙費用の支出者、その負担額等につき何等の話合もなかつたのであつて、被告人藤本秀二を初め重役幹部全部はいずれも会社のためにする一念から選挙資金面に関し社長たる候補者を煩すことなくひたすら当選に努力せしめるのが肝要であると考え、それがため選挙運動資金はともかく一応会社においてこれを負担支出するのが相当であると思惟していたこと、そしてもともと会社は昭和十九年三月十九日神戸海上が中心となり、朝日海上、横浜火災及び共同火災の四保険会社の合併により発足し、神戸海上の社長であつた岡崎真一が主要の地位にあつて運営され、業界においては同和火災即岡崎、岡崎即同和火災と認められるような特殊な結びつきがあつたのであるが同和火災なる社名としては他社に比して新しく岡崎社長をして右選挙に当選せしめることは会社に大なる利益をもたらすものと信じ(事の実際においても岡崎の当選によつて会社の業蹟が躍進したことは岡崎真一の当公廷における供述等に照し明白である)以てその選挙を会社の利益のためにする選挙であると考えるのは首肯し得るところであることが窺われ更に被告人藤本秀二は右のような信念から岡崎個人には何等計るところなく会社の常務取締役として安原明治(上地海運株式会社専務取締役)岡田辰雄に選挙運動資金の調達方を依頼し同人等も右資金に必要な金策であることを了承の上関西紙業株式会社又は神戸銀行から借入れ或は自ら立替えた金員を会社関係者に手交し、それが選挙運動資金に利用せられたものであることが認められるのである。従つて起訴状にいう安原明治が関西紙業株式会社から借入れた合計一千万円、上地海運株式会社が神戸銀行から借入れた百万円岡田辰雄が立替えた三百万円は民事法上その窮極の債権者、債務者が表面何人であるかの問題はしばらくおき、ともかく実質は前示選挙の運動資金であり、しかもその選挙たるや会社のためにする選挙との信念の下にそれがその選挙運動に利用せられた以上一応会社においても実質上の返済をする責任があるものと考えるのは敢て事理に反するものでない。起訴状には岡崎真一の個人的用途に充てるための貸借の如き記載があるけれども岡崎の全く単純な個人的用途のためのものとは甚だ趣を異にし、むしろ会社に利益をもたらすための金借であつたとみるのを相当とする。そこで進んで被告人藤本秀二は原審及び当審公廷において前顕信託金の振替え振込み金員交付等による本件支出につき偏えに会社の信用名声維持のためになした旨供述するのであつて、前示の如く一応実質上は会社が支払うべき責任があると考えられる支出につきこれが返済をしない場合はもとより会社の信用名声を害することは当然であり、右債務発生の由来本質等を彼此考え合せるならば同供述は十分これを措信することができるから同被告人は専ら本人たる会社の利益のためにする意思に基き本件各支出をなしたものと認めなければならない。この点に関し論旨は被告人藤本は岡崎社長の当選により幾分か会社の利益になるだろうという程度のことは考えていたにしても本件支出そのものが真に会社の利益になる信念の下に行動したということは認められず被告人個人並びに岡崎社長個人の信用名声が安原、岡田、関西紙業株式会社等に対し失墜することをおそれ社長個人の利益になると同時に自己の利益にもなることに思を致して行つたことが推知できる旨主張するけれども被告人藤本は起訴状においてもいう如く「会社の常務取締役として同会社のためにその利益をはかり誠意を以て社務一般を指揮監督していた者」であり、明確な特段の事情の認められないかぎり、同人が本人たる会社の不利益を顧みず専ら自己の利益は勿論社長とはいえ岡崎個人その他第三者の利益をはかり本件支出をしたとはたやすく推知断定し難いのであつて、上来説示するところに従い本件は専ら会社の利益のためにすることを主たる動機とする支出と認めることが事理に適合する判断である。尤も同被告人の前示供述によると同人としては終局的に会社の負担すべき額は二百万円乃至三百万円程度と予想していたようであるが当時岡崎個人としても十分の資力を有し(現在同人から会社の支出した全額が事実上会社へ補填せられておることは記録上明白である)たとえ将来会社の事実上の負担とならぬと思われる部分があつてもこれを一応立替支払の形で支出しておいても会社に対し損害を及ぼすものでない。むしろ、さしあたり会社の信用名声を維持する上においてはそうしなければならないと考えた結果予想以上の支出がなされたものであることが同被告人の右供述並びに原審及び当審における証人水野有喜の証言に徴し明白であつて、右予想以上の支出あるの故を以て未だ同被告人の叙上の意思を否定することはできない。なお前示選挙が会社のための選挙で、会社のためにするのであるならば他から金策を計る必要なく、直接会社資産を以て選挙運動費用を支弁すればよいではないか又債務返済に当つても正式費目中において処理すれば足り架空仮装の領収書等により作為する必要はないではないかとの疑問を持たれるのであるけれども両被告人の原審及び当審における各供述によると同人等は公職選挙法違反として追究せられることあるをおそれるの余り他から金借するの方法によつたものであり、又一応会社において返済金の支出をしても選挙終了後各関係者と相はかり岡崎個人その他の者に対して相当程度の事実上の負担を求める配慮の下に会社経理の面においては仮払として弁済金を支出せんとしたのである。ところがかねがね大蔵省から会社の仮払金の多額にのぼることを注意せられていた関係からその一部を右のような領収書を用いて本払の形式をとり形を整えたに過ぎず後日正式に整理を遂げた上株主総会の承認を求めんとしたが本件検挙のためその機会を得なかつたというのであつて、被告人等のやり方にはまことに公正を欠き芳しからぬ点があるにせよ当時の諸般の状況に照しこの弁解も亦強ち排斥し難いのであつて、右疑問の事実のみを以てしては被告人藤本秀二が会社の利益のために本件支出をしたという意思までをも打消すには足りない。更に会社株主において本件支出に反対を唱えたもののあつたことは記録上窺い得ないところであり原審証人白木定治の証言に徴しても本件検挙後株主有志懇談会の席上において事件発生を遺憾とする旨発言せられたに止り被告人等の執つた措置自体を論難する株主があつたものとは未だ認め難いのである。次に又検察官は被告人藤本秀二につき本件背任、業務上横領の犯意証明の論拠として被告人藤本秀二の検察官に対する第一回供述調書を引用するが同調書中には論旨摘録の如き供述部分に引続き「我々社員としては社長が参議院に出る事は当社の非常な宣伝となりこれが営業上与える利益は実に大なるものがある。その反面万一落選でもすれば会社に対する信用も落ちるのではないかという風に考えられなんとかして当選させようという気持が今日の問題を起したのであります」との供述が記載せられ社金流用の動機は会社の宣伝のためにこそ、なされたと解せられるような供述内容があり、同じく引用の同人の検察官に対する第二第三回供述調書中における論旨摘記の部分は社金流用という外形事実についての供述であり、そもそもの動機原因に関する同被告人の真意については右第一回供述調書の供述内容と比照し未だ真実に触れていないものともみられ且つその流用を全く申訳なく思うとの供述部分は本件支出当時の気持でなく同被告人の事後の感懐をもらしたに過ぎないとも考えられるのであつて、これ等の証拠を同被告人の原審及び当審における各供述に照し合せるときは本件支出当時の同人の真意が論旨にいうようなものであつたことを確認するに足りる資料とは未だなし得ない。更に検察官は被告人藤本秀二の原審公廷における供述の一部を引用し同人に所論犯意のあることが明白であるというけれどもその供述全体を通じ仔細にこれを検討すれば既に説示した如く同人が専ら会社の利益のためにすることを目的としこれがため本件支出をなしたという趣旨を供述したに帰するものと認むべく原判決はこの趣旨において同供述に依拠したものであることが明瞭である。従つて原審の右証拠の取捨判断には少しも誤なく所論証拠により被告人藤本秀二の犯意を認定しなくても何等不当あるものでない。更に又検察官は原判決が被告人山内茂に対し本件背任及び業務上横領の犯意を肯定しながら被告人藤本秀二に対してはその犯意の証明不十分としたのは明らかに理由に齟齬を示していると主張する。なるほど本件支出に関する外形的行為の認識については右両被告人共、同一であることが記録上認められるのであつて、この認識により原判決のいうように本件支出の不当なることを承知即ち本件背任、業務上横領の犯意あるとするならば被告人藤本秀二に対しても同山内茂と同様一応右の犯意を肯定しなければならない道理である。しかるに原判決が山内にのみ右犯意を肯定するものの如く認定しながら藤本に対しこれを否定したのは原判決の判断に基きこれをみるならばその間矛盾あるの譏を免れないのである。しかしながら当裁判所は被告人山内茂についても後記説明の如く同藤本秀二と同様に専ら会社の利益のためにする意思で本件支出をなしたと認め、所論犯意のないものと認定するを相当とするのであつて、判断に矛盾を来すところはないのであるが原判決も結論においては両被告人に対し犯責を負わしめず当裁判所の判断と同一に帰したのであるからたとえ右認定の誤があるにしても未だ原判決を破棄すべき理由齟齬があるものとなすには当らない。以上の如く被告人藤本秀二の本件所為に関しては専ら本人たる会社自身のためにする意思を以てなされたものと認められるのであつて、背任罪の成立に必要な犯意又は自己若くは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的がなく並びに業務上横領罪の成立に必要な不法領得の意思を欠くものとしてこれ等の犯罪を構成しないものと解すべきである。(最高裁判所昭和二六年(あ)第五〇五二号業務上横領、背任被告事件同二八年一二月二五日第二小法廷判決参照)
次に被告人山内茂につき所論犯罪の成否を検討するに原審並びに当審公廷における被告人山内茂の各供述(殊に原審第八回第九回各公判廷における供述)及び同じく被告人藤本秀二の各供述を綜合すれば被告人山内茂も前示岡崎社長の立候補した選挙が会社のためにする選挙であることを熟知し、会社のためにする上司たる被告人藤本秀二の指示に基き経理部長として専ら会社の信用名声を維持せんとする意思の下に会社のため本件支出を行つたことを認めることができる。そしてその支出方法形式において架空領取書等を用いたことはあつても未だ以て右認定を動かすに足りないことも亦被告人藤本秀二について説示したところと同様である。尤も被告人山内茂の司法警察員に対する第六回供述調書中には「後の整理は経理部長としての私の立場からどうしても解決しなければいけないので悪いことと知りつつ以上のような整理方法をとり会社に損害を与えて居る訳で真に申訳ないと思つて居ります」との供述記載があるけれどもこの部分は被告人山内茂のとつた外形的処理方法の不当であつたことを述べたに過ぎないものと認められ、何が故に同人のいう如く悪いことと知りつつもそのような措置をとらざるを得なかつたかの根本、動機、これに関する同人の真の意思に触れるところがないのであつて、前示同被告人の原審及び当審における各供述内容に比照するときは専ら同人が自己若くは第三者の利益を図り又は本人たる会社に損害を加える目的や不法領得の意思のあつたことを認むべき資料としては十分でない。その他記録を仔細に検討しても同被告人に本件背任罪の犯意乃至目的、業務上横領罪の意思が存在したことを首肯確認するに足りる証拠は遂に見当らないのであつて、同被告人に対し右各犯罪の成立を認めるに由ないものというの外はない。しかるに原判示によると同被告人に関し右各罪の犯意を認定したように窺われ、この点において原判決は事実誤認の疑があるが、結論においては同被告人に期待可能性を欠くことを理由として犯責を負わしめないのであるから結局当裁判所の判定と同一に帰着し右違法は未だ判決に影響を及ぼすものとはいい難く原判決破棄の理由とはならない。
これを要するに検察官の縷々の所論に鑑み記録を精査してみても本件においては背任罪、業務上横領罪の成立に要する主観的要件に関しその証明が十分でないと認められるから所論の原判決説明にかかる期待可能性の有無に関する理論の適否を判断するまでもなく各被告人に対しては刑事訴訟法第三百三十六条により無罪の言渡をなすべきであつて、結局原判決には判決に影響を及ぼすべき事実誤認又はこれに基く法令の適用を誤つた違法なく、論旨はすべて理由がない。
(裁判長判事 吉田正雄 判事 山崎寅之助 判事 大西和夫)